臨床実習
「おうてめーいい度胸じゃんかよ。この薬の処方どういうつもりだと言うのだよ」
と言われてもこっちは学生で、カルテを写したに過ぎないのだ。
「なめてんのかてめーは」
先生はしめサバみたいな目でおれを見てくる。
修羅場をくぐった外科医というのはこんなものなのか。
「訳のわかることだけを書けよ。わかったのか」
「うふふ、ゴーシュさんたらかわいい」
「それほどでもうふふ」
「かわいいうふふ」
病棟のパソコンでレポートを作るのは学生の責務だ。そして臨床実習の班内で孤独であったとしてもそれをがまんするのも学生の責務だ。
「ね、愛してる、って言ってみて、それからにらめっこよ。笑ったらまけよ」
「わかった。愛してる。」
「うふふ」
「あ。笑った」
「笑ったね」
「うふふ」
「うふふふ」
もてない男がつらいのは有史以来だ。
だから人間なんてうまれなくてよかった。
ゾウリムシみたいに接合子で増えていた時代は悲しみなどなかったはずだ。
つらい。
「というわけでコロナが出ました」
出ちゃったから仕方ないのである。
「自宅待機をお願いします」
感染症との闘いも有史以来だ。
人間は未知の感染症と闘い続けてきた。
だから医学生もできる範囲で闘わねばならない。
下宿の部屋でぼんやりしている。
臨床実習というのはこうしたものなのだ。
映像授業と医学生
「なあおい、MECどこまで進んだのだよ」
「おれはまだメジャーも終わってねえよ」
というのは要するに医師国家試験用の映像授業のことである。
医師国家試験は受験者の9割が合格する試験であり、そう聞くとなんだか簡単な試験のように思えるがとんでもない。その試験範囲たるや想像を絶し、参考書たるイヤーノートとかいう本は人を殴れば殺せるくらい分厚い。だいたい医学部に来るぐらいだから全員勉強が得意なのだ。そんな連中でも1割落ちるのである。大抵の医学生は恐れ、焦り、互いに目配せしながらしのぎを削る。
そんな彼らの助けになるのが医師国家試験専用の予備校であり、映像授業なのだ。もはや全国の医学部でこれを採用していないところは無いだろう。もちろんこれをやらないと受からない訳ではないが、そこは医学部のこと、みんながやっていることはやらないといけなくなるのである。下の1割になりたくない。その強烈な欲動が彼ないし彼女らを突き動かしている。
そもそも医学生というのは、そもそも奇人な癖に「外れる」ことを極端に嫌う習性がある。世間並みの大学生でいたいという強い欲望がある。それでシッチャカメッチャカな飲み会をやったり、西医体、東医体といった医学部だけの体育大会に出るのだが、それらが全く世間並みの大学生のやらないことだというのに気づいていない。彼らは致命的にずれていくのだ。しかし世間並みの人間でいたいから、普通のテレビドラマ、映画、アニメなどを好む。医学生はその偏差値の割に知的好奇心が薄く、独立心が弱いのもこの辺りが原因かもしれない。病院という失敗が許されない組織の中で生きる上では知的好奇心の薄さは大変有用だが、果たして医師として有用だろうか。
今日も彼らは映像授業の進捗を探り合う。どうにも絵にならぬ。
病院見学
「オイ、お前さあ、メメ病院に見学に行ったってなァ」
「なんで知っているんだよ」
「根も葉もない噂を聞いたんだぜえ」
という何の益もない会話が医学部ではよく聞かれる。
病院見学とはつまり就職活動のことで、4年から6年の春にかけて医学生は自分が就職したい病院に見学に行くのだ。
病院にも「ハイパー病院」「ハイポ病院」というのがある。
ハイパーというのは初期研修がいとど厳しく、ばっちり仕込んでくれるところだ。有名な病院であり、日本中から「オレはいちばん賢いんだもんね」と憚らぬ、英語もしゃべっちゃったり、手先も器用、勉強も抜群な日本医学をリードする素晴らしい意識高い人たちが集う。
一方ハイポというのは研修がゆるい病院だ。世の中楽して銭儲けというわけではないが、昨今医療業界が多忙なことは有名なので、それなりのペースでやっていきたいと思う人々が集まる。どちらの病院も人気であるが、ハイパー病院にだれが行ったかというのは医学生の最大の関心事の一つである。
医学部というのは小さな村である。
全員出席必須、ひとつでも単位を落とさば即留年の中で必然的に学生は閉鎖環境を形成する。
その村では、となりの田吾作が肥溜に落ちたというレベルの話が貴重な娯楽となるのだ。だから医学部内で恋愛するものどものうわさは光より早く学内を巡る。みんな刺激に飢えている。就職話もその娯楽の一つであり、しかも医学部特有のプライドが他者が「ハイパー病院」に行くのがどこか悔しい、という感情も手伝うのだ。
さて彼等は自分のことを「平均的な大学生」だと思っているが、果たしてどうだろうか。
再受験生の私にも最近よく分からなくなってきた。しかし多くの患者方が「医者は変わり者が多い」と思っているらしいから、やっぱり医学部は異常なのだろう。
マキャベリズム
「あのねエ日乗さん。もっと人生を楽しまなきゃだよ」
「うーん」
「だって日乗さん童貞でしょ?」
「うん」
「留年してるでしょ?」
「うん」
「彼女いないでしょ?」
「うん」
「ハアーッ」
彼は眉を潜め、にやにやと笑いながら私を見る。
「いやーッ、駄目。駄目駄目。現実的じゃない。マキャベリって知ってる?」
「君主論の」
「バルタザールグラシアンは?」
「いや」
「ハアーッ」
彼は勝ち誇ったように私をにやにやと見る。
「やっぱり駄目だわ」
彼は入学当初こそ自信なさげだったが、恋人ができ、「賢い」成績のいい人々の仲間入りをしてから勢いが良くなってきた。いまや功利主義と合理主義と権謀術数の修羅道を愛している。成績のいい人々に忠誠を誓い、私のような人間を軽蔑する。
医学部とは人間の間のどこにでもある社会である。そして有史以来繰り返された間違いを犯し続ける。
謙遜
「いやア、僕そんな勉強してないですヨ」
しかし彼は昨年学年一位だったし、せっせと基礎研究、国試、USMLEの勉強に勤しんでいることを知っている。
「そうなんだ」
「そうですヨ。もう遊んでばっかりいますヨ」
「なにして遊んでいるの」
「もうずっとニコ厨ですネ。あとは楽器を…」
「楽器」
「そうなんですヨ。ひたすら淫夢動画を…」
「楽器はなにをやっているの」
「めっちゃマイナーなんですヨ。バンドネオンてんですけど」
「知らないなあ。どんなもの?」
「アコーディオンみたいなもんですヨ」
「なんでそれ始めたの?」
「な ん と な く」
彼がバンドネオンを始めたのはまったく誇り高い人間なので、あえて「他人のやっていなさそうな楽器」をやろうと思ったからである。つまりギターやベースなどという俗な楽器は優秀な彼にふさわしくないといった訳なのだ。
しかし彼が正直なところを私に告げることは無いだろう。彼は謙遜な人間だからだ。
医学部には奇人が多い。それは私もやはり世間から見れば異常人であるのだろう。
権力欲
「おれはやるぜ」
「なにを」
「おれはね。北海道の某政治家みたいにロシアと手を組んで、日本の医療を売り込む。北方領土に日本医療のシステムをもちこんだ病院を作ってね。こいつは売れるぜ」
「そいつはすごい」
「どうだい、お前も一枚噛まないか。いずれ内科部長くらいにしてやるぜ」
「魅力的ではある」
「どうも乗り気じゃないな。男なんだからもっと野心を抱いたらどうだ。それとも成功の確証がないのか?」
「そういう訳ではないが…」
「じゃあこれを見ろよ」
彼が私のスマート・ホンに送ったURLを開いたら大量の白人女性が出てきた。
「どうだい」
「悪くない」
「だろう。ロシア人女性にモテるぜ。流石にやる気になったろう」
「たしかに」
「決まりだ。まずロシア語を勉強したまえ。そのやり方は…」
彼は細かにロシア語の学習法を教えてくれたが結局中絶した。
私はどちらかといえばネパール人女性の方を魅力的に感じる。
とかく医学部には奇人が多い。
医キリ
「医キリ」
という言葉があり、
「粋がる医学生や医者」ほどの意味である。
世人の知る通り医学生や医者は己の賢さを恃んでおり…さらに「中途半端な体育会系」であることも先に述べた。平均的な医学生や医者はこのようにして己の知力と体力に信頼する浅薄なプラグマティストとなる。そこに医者一族の末裔として億万の金を持ち、己の自家用車、レクサス、アウディ、複数台所持する仕儀となれば…もはやその愚かさは煉獄の全天を焦がすほどに燃え上がるだろう。
そうした愚劣な風土の中で醸成されるのが「医キリ」である。
己を恃み、己と似たような金持ちどもを恃み、他者を蔑む。
医界にあっては麻酔、眼、皮膚、精神などのマイナー科を蔑み、劣等なる他学生を蔑み、現実界にあっては他業を蔑む。彼らが尊崇するのは目に見えるまがい物の金ばかり。
はて平成が死に、令和の御代となり、いつまでもアインスタインの言へらく、「人間の愚かさには底がない」わけだが、医キリは次第にその身と魂とを滅ぼしていくだろう。これはある種の私の呪いであるが、しかしながら私にもどうしようもない。