医学部再受験の我が杜撰な方法(真似し給うな)

私の医学部に入ったるやり方を述べる。

私一身上の方法ゆえ、人様の結果につきましては責任は一切持てませぬ。何卒あらかじめご了承ください。申し訳ございません。

それでよいと言う方のみ以下をご笑覧ください。

 

それは特別のことをせぬことと私は思う。医学部に限らず、試験に受かるこつは「皆ができる問題をちゃんと解く」ことではないかと思う。そして神道キリスト教にて神様に毎日心より頼むべし。

 

医学部に入るのに私は特殊の教科書を用い得なかった。

理科なら重要問題集、数学なら黄チャート、英語なら長文をしかと読み速読英単語にて語彙を身につける。英作文は駿台の英語構文の授業でも受けて構文をしっかり覚え、その組み合わせで書け。駿台の金がなければ構文150あたりの短文英作文を覚えるがよいのだろうか。

つまり皆のできる問題をまずは全て正答できるよう、重要問題集やチャートを解説を読んで了解し、何度も読むことで復習を成すことが私の場合肝要であった。私の知能が足りなかったゆえ、それしかできなかったのである。最後まで重要問題集と黄チャート以外やらなかった。ただし極めて何度も忘れぬよう繰り返した。問題をやれば必ず翌日、翌々日には見るだけ見返した。日付を問題の肩に書き、なかなか覚えられぬ問題は日が開かないように読み返した。いちいち解きはしない。解説を読んで理解を忘れぬようにする。解説を読んでも理解できぬときは…人に聞くしかない。

(国語は…これは本当は予備校などで確かな人に教わらねばならぬ…もし自力でやるなら、ちくま学芸文庫の新釈現代文や河合の入試精選問題集くらいしかよい解説書をしらぬ)

 

神様に祈るとは何か。

毎日近所の良い神社か良いカトリック教会に詣でて「人の為となりたいからなんとか医学部に行かせてください」と頼むことである。

これは非科学的とは言えぬ。

祈るうちに自らの中に医学部に行きたい理由が確かめられる。

確かめられれば医学部の面接でも堂々とする。

さびしい浪人時代は己の志より他には神様より頼むものはない。己という不確かなもののみ頼れば精神の平衡は危うくなることもあろう。

 

物神両方の助けを得て私は医学部に入りたり。

されど真似し給うことなかれ。確かな方法ではない。